日出町の文化財


「西鹿鳴越道」


宇佐道と呼ばれ
1551年キリスト教の宣教師フランシスコ・ザビエルが大友宗麟の招きを受け、山口より大分に向かう途中歩いた言われている。
~案内板より~
「東鹿鳴越道」


殿様道
江戸時代、日出・豊岡と山香との往来は鹿鳴越連山を越える二本の道によって行われていました。一本は西よりの山田から山香の日指を経て宇佐郡の佐田に抜ける西鹿鳴越道 もう一本は、この長野から東山香・中山香を経て立石に至る東鹿鳴越道です。日出藩主も、この道を利用していたので地元の人々は殿様道と呼んできました。ここから少し上がった所には、殿様の籠を置いた籠置き場跡もあります。明治25年に赤松経由の新しい道路(現在の国道10号線)ができましたが、鹿鳴越道の方が近道だったので昭和20年代まではこの道がよく利用されていました。
~案内板より~

豊前道と呼ばれ、日出藩主も利用していたことから、殿様道と呼ばれた。

この道は明治の初年には人力車を3~4人で引いて上がったそうです。この石垣の道幅は二間二尺あります。廃道になって100年以上が経ち荒れてしまいました。
~鹿鳴越の会~案内板より
「安養寺・経塚古墳」




「日出町史跡」
この古墳は明治時代初期に発見され、形状などから古墳時代後半のもので、藤原、大神地域の有力者のものと推定される。直径30mぐらいだと考えられるが、現在は周辺が削られ20mである。
~案内板より~
「日出藩成敗場跡地」


日出藩の罪人処刑場跡地で、十一代藩主木下俊懋が、藩主の菩提寺である松屋寺住職大蓮和尚に命じて慰霊のために建立した供養塔である。この塔は寛政十一年(1799)に建てられた総高2.5mに及ぶ大きなものです。~案内板より~

回天神社



日出町戦跡遺産


「早水台遺跡」



昭和25年に発見された遺跡
「脇蘭室」



江戸時代後期の儒学者 生誕地・塾跡
「龍泉寺」
「瀧家住居跡」




日出藩 瀧家墓所
瀧廉太郎もここに眠る


「八津島神社」



大友宗麟が寄進されたとされる鳥居

「大山積神社」



城を彷彿とさせる石垣の神社