国東市の文化財 国見 国東 武蔵 安岐
「千灯石仏」


国見町
自然石の全面を削り半肉彫りした。高さ1m巾2mの石仏「廿五菩薩来迎図」である。鎌倉時代の作で美術的価値の高いものである。
ー説明板よりー
「尻付岩屋」


国見町
この岩屋は、昔行者の修験者の行場で、旧千灯寺付属の霊場である。
ー説明板よりー
「釜ヶ迫国東塔」


安岐町
「国指定重要文化財」
建武二年(1335)
「国東塔」


国見町
この国東塔は、半島中現存する最大なもので納経塔である。高さ4.81m正応三年
ー説明板よりー
「吉木九重塔」


国東町
「県指定有形文化財」
南北朝期に活躍した、飯塚城主第二代田原氏能が、父・貞広の供養をするために建立したものと伝えられています。総高6.12m
~説明板より~
「熊野社」


国東町


「鳥居」寛延二年(1749)
「町有形文化財」


「ナギの木」
「町天然記念物」


「ホルトの木」
「町天然記念物」

「狛犬」安政四年(1857)




「旧大聖寺・五輪塔群」


国東町
大聖寺は延文三年(1358)の建立寺中には南北朝から室町時代にかけての宝塔・宝篋印塔・各種の五輪塔二百余りがある。五輪塔群は鎌倉・室町時代に活躍した北浦辺衆の墓塔群だと思われる。
ー説明板よりー
「塚山古墳」


安岐町
塚山古墳が造られた時期は、横穴式石室が最も集中する六世紀後半のものである。玄室奥行1.8m幅3m高さ4.5m。
ー説明板よりー
「川原板碑」


国東町
「県指定有形文化財」
右が文殊の板碑、左が不動の板碑といわれ、それぞれに梵字、銘文が刻まれています。
ー説明板よりー
「妙吉寺一石五輪塔」


国見町
「県指定有形文化財」
鎌倉時代(推定)

「大吉堂国東塔」


安岐町
「町指定有形文化財」
鎌倉~室町時代
総高184cm
「重光 葵の墓」


安岐町
昭和20年、日本が無条件降伏を勧告するポツダム宣言を受諾し、アメリカ軍艦ミズ―リ号上で日本政府代表として降伏文書に署名したのが重光葵であり、日本の歴史に残る場面に立ち合い重要な使命を果たす。
~説明板より~
「長木家宝塔」


「国東塔」

「国重要文化財」
鳴の国東塔ともいいます。紀永貞が元享元年に、自分の生前供養のため建立しました。総高は3.97mで、宝珠、塔身、蓮華座など鎌倉武士の気風を受け、堂々かつ躍動感あふれる作風となっています。在銘の国東塔の中で最大のもので、法華経を奉納していたといわれています。
~説明板より~
「鳴板碑」


「県有形文化財」
この板碑は、紀永貞が父親の菩提を弔うため、元享二年に建立。総高3.38mで身部には大きさ1mあまりの「マン文殊菩薩」の種子が刻まれています。西日本最大の板碑です。
~説明板より~
「宝命寺国東塔」


武蔵
「県指定有形文化財」
この国東塔は鎌倉時代末あるいは南北朝時代に造立されたと推定され、基礎はは三重で、第三重には格狭間を刻んでいる。全体としては形もよく、総高約4mという重量感に富む均整のとれた国東塔である。
ー説明板よりー
「スダシイ原生林」


武蔵町
「県指定天然記念物」
生息域は小城山の頂上東側に面する。宝命寺本堂境内域にあたる。
ー説明板よりー
「史跡 鬼塚古墳」


国見町
六世紀末
「史跡 鬼塚古墳」


鬼塚古墳は、11基からなる西山古墳群の一つで、線刻壁画のある装飾古墳。
石質の構造は、大形の石材を用いた単室の横穴式石室である。丘陵傾斜面に立地するため、玄室を半分ほど地下に埋め、これに傾斜のある羨道部がついている。
~説明板より~


「椿八幡宮御神木クスノキ」


武蔵町
「特別保護樹木」
治安三年現在地に邊座の際の記念樹であると伝えられている。
~説明板より~
「護聖寺板碑」


安岐町
「県指定有形文化財」
右 正応四年(1291)
左 嘉暦四年(1329)
「護聖寺宝筺印塔」


安岐町
「町指定有形文化財」
室町時代
「護聖寺一石五輪塔」


安岐町
「町指定有形文化財」
鎌倉時代~南北朝時代
「照恩寺宝塔」国東塔


武蔵町
「国指定重要文化財」
この国東塔は椿八幡宮にあったものであるが、明治初年の神仏分離令による廃仏毀釈の際に倒されて放置されていたものを明治二十二年十月照恩寺の請いにより現在地に移したものといわれている。正和五年(1316)
~説明板より~

「山神社イチイガシ」


国見町
「県指定特別保護樹木」
「八坂社板碑」


安岐町
「県指定有形文化財」
元弘三年(1333)
「深江板碑」


国東町
「県指定有形文化財」
総高133cm鎌倉時代末期の嘉暦二年(1327)
「古幡社」


 真玉
ケンポナシ
県指定保護樹木
「古幡社」



イチイカシ
県指定保護樹木
「古興導寺遺跡」


国東町