中津市の文化財 中津 三光 本耶馬溪 耶馬溪 山国
「箭山・八面山」


八面山は標高659.4mでどの方位から見ても同じ姿であるので八面山という。また昔、この山に箭柄竹が多かったので俗に箭山ともいう。
ー説明板よりー

「和与石」


伝承によれば、八幡大菩薩が英彦山で宝珠を奪って逃げたので、法蓮がこの八面山まで追いかけて大声で問責したら八幡大菩薩は伊予国から金色の鷹になり、金色の犬を連れて飛び帰り、宝珠を授受することで和与(和解)し、そのあと巨石に変化したといわれ鷹のくちばしががよく現れている。この付近一帯の巨石は、祭祀遺跡であると考えられる。
ー説明板よりー


八面山龍神の池
「田口のイチイガシ」


県指定天然記念物
「箭山権現石舞台」


八面山は、別名箭山ともいわれ、その昔山岳信仰が盛んで山頂には神功皇后を祀る箭山神社がある。京都で敗戦をとった足利尊氏が九州に下り、宇佐神宮に詣でたとき、この巨石にあがって箭山神社に武運長久を祈願したとも伝えられ、信仰の神として崇められた。石舞台の大きさは縦19.3m横13.0mです。
ー説明板よりー

「箭山神社角塔婆」


法蓮開基の箭山権現守護のために造立されたものと思われる角塔婆で、地上の総高116cm。鎌倉時代末期のものではあるがほとんど完形に近く、大分県においては最も古い角塔婆であり、銘文なども多数判読可能で貴重な存在である。
ー説明板よりー
「鷹石」(御神体)


古式の原始信仰を偲ばせる磐座であり、箭山の御神体でもある。
ー説明板よりー
「箭山神社」


箭山神社は、宇佐神宮の祖宮である薦神社の奥院にあたり、八幡神がご鎮座。縁起に「大宝元年(701)法蓮当山を開く」とあることから、英彦山・求菩提山に続く修験道場のひとつであったといわれている。
ー説明板よりー
「修験坊住の跡」


昔、この付近に大日寺と六坊があった。講堂の御本尊が大日如来であったので、大日寺の寺号となったと云われる。当寺は仁聞菩薩に同行していた華厳によって創建されたと伝えられている。
ー説明板よりー
「念仏橋の景」


山国町
「名勝耶馬溪」
昭和3年に架けられた石橋と深い峡谷でできた景
「京岩の景」


山国町
「名勝 耶馬溪」
耶馬溪層の浸食によってできたこの岩峰は手前がワシ岩で奥の高い方が京岩と呼ばれている。昔は鷲が棲んでいたといわれています。
ー説明板よりー

「毛谷村六助の墓」


山国町
毛谷村六助は、父母が子宝に恵まれず、英彦山の豊前坊に祈願して授かった子であると伝えられ、七月六日に生まれたので六助と名付けられた。成人した六助は、太閤秀吉の前で角力をとり、三十七人抜きをするほどの怪力であった。やがて、加藤清正の家臣にとりたてられ、名を木田孫兵衛と改めた。諸説あるが、享年六十二歳で、この地に埋葬されたと伝えられる。
ー説明板よりー

「枌洞穴」


本耶馬溪
この洞穴は、今からおよそ三千年から一万年前の縄文時代の洞穴遺跡です。屋形川の浸蝕によってできた洞穴で、広さはおよそ間口11m、奥行9m、高さ6mほどです。
ー説明板よりー


「猿飛甌穴群」


山国町
「国指定天然記念物」
今から、千万年以上前、第三紀中新世のころ瀬戸内海と有明海はつながっていて、この地域は海底でした。その頃筑紫山脈の南岩に近い海底の溶岩が裂か噴出して、変朽安山岩と呼ばれるものになり、その後、数次ににわたる他の火山噴出物の堆積地殻の隆起や水による浸水等の過程を経て、地表に露出してきました。それが今、眼の前にある多数の岩石です。この岩の多くには金銀の鉱床がありましたので、地域一帯にはいくつかの金山が開かれていました。
ー説明板よりー

「草本金山跡」


山国町
最盛期には、抗夫五百人余りも働いていたとされる草本金山精錬所跡です。昭和十五年頃までこの地域一帯は鉱山社員や抗夫の住宅、診療所、テニスコート、映画館が作られるなど、一大鉱業所として繁栄をみせていました。
ー説明板よりー

「瓦塔」


三光
塔ノ熊廃寺
平成二年学校改築の時、新羅系の瓦が多数出土したことから此処は八世紀の後半に建築された寺院跡であるこtが判明した。
ー説明板よりー
「香紫庵宝塔」


三光
室町時代から桃山時代に建立したものと推定される。
ー説明板よりー
「諏訪神社」


山国町
この諏訪神社は、信州の諏訪神社から康暦年間(1379~1380)に勧請されたと伝えられています。遠い諏訪の地から勧請されたのは、この地に住み着いた諏訪源氏氏系の一族がいて、守護神としてここに諏訪の神を祭ったことによるものでしょう。
ー説明板よりー
「諏訪神社の大杉」


「県指定特別保護樹木」
この大杉は、推定樹齢500年以上といわれ、根回り10m、樹高約45m。
ー説明板よりー
「雪舟庭」


山国町
「町名勝」
当時、この地を英彦山と津民谷を結ぶ主要路が通っていました。1470年から三年間豊後に滞留し多くの作品を残しているのでこの庭園も彼の作品である可能性を残しています。個人の家の庭園です。
ー説明板よりー

「西京橋」


耶馬溪


「沖代地区条里跡 展望施設」


中津

「長者屋敷官衙遺跡」


中津
八並城跡
「法華寺のツバキ林」


中津
小平遺跡公園
「古要神社」


中津
三年に一度行われる「傀儡子の舞」で有名な神社です

「薦神社の大樟」


特別保護樹木「クスノキ」
中津市