大分市の文化財 野津原 佐賀関

「大分市の名木83号」


くすのき 樹高15m樹齢400年幹周5.3m
早吸日女神社
「高瀬石仏」


大分
「国指定史跡」
石窟は高さ1.8m幅4.4m奥行1.5mの規模で、この中に五像が彫りだされています。
~説明板より~
 「丸山八幡神社」


野津原
「楼門」
「指定文化財」
江戸時代の享保五年(1720)この楼門には創建当初の彫刻と見られる、数々の彫刻が施されている。
~説明板より~

「元町石仏」


大分市
「国指定史跡」
大分元町石仏は、上野丘台地の東端の崖にあり、昭和九年に国指定史跡となった磨崖仏です。

「亀塚古墳」


大分市
「国指定史跡」
海部古墳資料館。5世紀初めに造られた、県下最大規模の前方後円墳である亀塚古墳。

「大分市の名木41号」


かや 樹高19m樹齢300年幹周2.3m
「大分市の名木40号」


かや 樹高28m樹齢300年幹周2.1m
「大分市の名木1号」


九六位山圓通寺
いちょう 樹高23m樹齢1380年幹周8.4m
日羅上人が九六位開山の折、手植えしたものと云われ、その乳根の大きさは、全国でも珍しい。
~説明板より~
「口戸磨崖仏・附磨崖五輪双塔」


大分
「県指定史跡」
「口戸磨崖仏・附磨崖五輪双塔」


磨崖仏と呼ばれていますが、正確には仏像の姿に模した神像です。中央の龕に「小倉山」(宇佐神宮の別称)の陰刻があることから、三像とも宇佐神宮の祭神を表したものと思われます。
~説明板より~

「関埼灯台」


四国の佐田岬灯台と向かい合う形で、瀬戸内海と外洋を結ぶ速吸瀬戸を挟み、この狭水道を航行する船舶の目標として、重要な役割を果たしている。明治34年7月20日完成。
~説明板より~
「柞原八幡宮」


大分市
「国指定重要文化財」
天長四年(827)、延暦寺の僧・金亀が宇佐神宮にて神告を蒙り柞原山に勧請したのが起原と。

 「岩屋寺石仏」


大分市
「県指定史跡」
  「岩屋寺石仏」


岩屋寺石仏は、17体の磨崖仏と千仏龕からなる。凝灰岩のため風化がひどく様式その他不明なものが多い。わずかに右端の十一面観音像が輪郭を有している。高さは約2,4メートル。藤原前期の作と思われる。石仏は、県の史蹟に指定されていたが、風化がはげしいため解除された。
 「大友頼奏の墓」


大分市
「市指定史跡」
横5m縦4mの墓域にある総高1.72mの五輪塔です。
大友頼奏は1222年生~1300年没。大友家三代家督。鎌倉時代後半の武将として、とくに元寇に際しては筑前国の武藤資経とともに九州内の武士に対する軍事指揮権を与えられました。大友惣領とともにはじめて豊後国に入国し、以後大友氏は豊後に土着して勢力を築きました。
文永の役では「蒙古襲来絵詞」の中に武者姿の馬上の頼奏の姿が描かれています。
~説明板より~

「法心寺」


大分市
慶長6年(1601)肥後(熊本県)のお殿さま加藤清正によって建立されました.




松平忠直(一伯)居館跡


松平忠直は、徳川家康の孫にあたり、父結城秀康の跡を継いで13歳で越前国北庄68万石の2代藩主になった。元和元年に起きた大阪夏の陣で、忠直率いる越前兵は、目覚ましい活躍をみせました。しかし、この年に公布された武家諸法度に定めている参勤を怠ったことから、元和九年隠居を命じられ、府内藩主竹中重義の「お預かり」として豊後国萩原村へ移され、その後新たに津守村に建てられた館へと移り、慶安三年 56歳で病死するまで津守館で過ごしました。大分市津守~説明板より~
曲石仏


奥行約7m高さ約6mの中央奥に、円満な顔立ちの釈迦如来(大日如来とも)坐像一躯が安坐しています。この地は平安中期、曲別符とも呼ばれ、宇佐神宮の領地となった所です。大分市大字曲~説明板より~




王子神社


鋳鉄製の鳥居(府内藩主松平大給公の奉献)。他に萵苣の木、樹齢数百年の銀杏。大分市王子町~説明板より~