竹田市の文化財 直入 久住 竹田 荻

「紫神社」


竹田
「紫草」の原産地
奈良時代、色の最高位とされる「むらさき」の染色材料であった紫草は、ここ竹田地方で栽培されました。当時紫草は重要産品で、西の朝廷と呼ばれていた大宰府から官史が年三回当地に巡行し、その栽培地は大和政権が直轄管理していました。そして大宰府で染色された深紫は「むらさき史」によって都(平城京)へと運ばれて、宮廷人の衣服などを飾りました。


「紫神社」



志土知には紫八幡社があり、昔「紫土地」と呼ばれており、土質(火山灰土)や標高等からも「紫草」の生育に最も適しているところです。

「平木のコナラ」


久住
「市指定天然記念物」
「円形分水」十二号分水


1693年開削計画1715年着手したが通水に至らず1892年現在の分水まで通水1934年竣工

「原のキリシタン墓碑」


直入町
長湯地方は昔、朽網と呼ばれ、豊後キリスト史上の先進地であり、1550年代から1580年代には信者数約300名に達していたと云われる。当時朽網は、府内、平戸、博多、鹿児島、山口、京都および堺とともに日本八大布教地の一つに数えられていたほどである。この墓碑はキリスト教が禁教とされる以前のキリシタン信仰華やかなりし頃のものであり、全国的にも珍しいT字型の墓碑には「INRI」の文字が刻まれている。
「長湯(馬門)の線刻磨崖仏と自然石板碑」


直入町
「県史跡」

高さ約2m、幅約6mの露出垂直壁面のほぼ中央に二躯の線刻磨崖仏がある。いずれも線彫りした五輪塔の中に線刻されている。
右側には、自然石に梵字を蓮華座の上に線刻した板碑二基がある。
線刻像と自然石板碑の関係は明らかでないが両者とも、室町時代の作とみられる。
ー説明板よりー
「緩木神社」


竹田市
景行天皇十二年(82)祢疑野に土蜘蛛を征せんと緩木行宮に於いて伊邪那岐、伊邪那美二神を勧請し報賽の典を擧く是緩木社の創始なり。
ー説明板よりー
「緩木神社縁起杉」



「緩木神社」


天然記念物「松」
高さ42m、周囲6・7m推定樹齢710年
現在は幹の一部しかありません。
「籾山神社」


直入町

「籾山神社の杉並木」


鳥居の両側に立つ巨杉、幹囲5.4m樹高35m石畳の両側に、幹囲4.8m~5.8mに及ぶ巨杉6本、計8本が町の指定天然記念物である。
ー説明板よりー
「籾山神社の大ケヤキ」


県指定天然記念物
コブの下根元幹囲11.25m
樹齢800~1000年
九州地区で第3位
「籾山神社の二又ケヤキ」


主幹地上7mのところで枝分かれしていることで、分岐点には、杉、グミ、サカキ、イチョウなどの木々が寄生している。
樹高20m樹齢400年以上


「白水溜池津堰堤」


竹田市と緒方町を流れる富士緒井路の用水に使われるダムです。重力式割石コンクリートダム、高さ14.1m長さ87.26m、昭和4年から4年半の歳月をかけて完成している。
ー説明板よりー
「井手の上石幢」


竹田
「県指定有形文化財」
石幢の竿には、永正十七年(1520)八月十九日、願主は神原に住む大神一族が建てたという銘文があります。緒方三郎惟栄の祖先である大神氏が、穴森伝説上の人物だけではなくて、実在したことを証明しています。
ー説明板よりー
「宮処野神社」


久住
神社の始まりは、景行天皇が九州征伐の途中、禰疑野の土蜘蛛を征伐したときの行宮跡に天皇を御祭りしたことに始まると伝えられ、こののち嵯峨天皇を祭神としていることから別名嵯峨宮様と呼ばれましたが、明治四年に宮処野神社と改称されました。
秋季大祭には参道や境内に祭礼市がたってにぎわいます。この祭りの行事は県の無形文化財となっています。
ー説明板よりー

「宮処野神社の社叢」


久住
「県指定天然記念物」
杉の大樹とともに、ケヤキ、トチノキ、タブの木など古木の生い茂る社叢は県指定の天然記念物です。
ー説明板よりー
「市用横穴古墳群」


竹田
「市指定史跡」
市用平園天満社横の岩壁にある横穴古墳群は、古墳時代後期六世紀末頃のもと考えられる。調査によって十一基が確認されていますが、いくつかは崩壊しており明らかに横穴と識別できるのは五基ほどです。
ー説明板よりー
「竹田」


町中の文化財
「おたまや公園」


おたまや公園の文化財
竹田