回天実物大模型


魚雷調整プール
魚雷調整場施設の一部にあり、回天を揚重機にて、このプールに沈めて水漏れ等を検査していました。コンクリート製の構築物で、回天一基が丁度収納できる長さとなっています。大神基地で最も面積の大きい魚雷調整場は基地の中心部に位置し、建物上屋は現存していませんが、コンクリート製の基礎の一部と擁壁の一部が残っています。




回天神社



住吉神社



住吉大明神の鳥居
貞享4年(1687)、日出藩三代藩主木下俊長公が寄進した。破損して、大正12年(1923)修健し、額束「住吉大明神」を「住吉神社」とした。片方の礎石と藁座の部分が残っている。


灯台の役目をした常夜灯

襟江亭と常夜燈

寛文七年(1667)、日出藩三代藩主木下俊長公は、参勤交代待機宿泊のための、風待ち茶屋「襟江亭」きんこうていを日出城から一里東の大神村深江に創築しました。藩主は、参勤の際、船旅の航海無事安全を祈願して、深江住吉大明神(住吉神社)に参詣し、襟江亭の門の下から乗船し、出帆して江戸へ向かいました。以来、深江港は、日出藩の外港として、海の玄関口となり、重要な役割を担ってきました。
宝永七年(1710)八月二十八日、日出藩三代藩主木下俊長公は、「深江住吉大明神(住吉神社)境内」と牧之内、鵜の鼻近く」の二か所に灯台の役目をする石造の「常夜燈」を創設しました。番人を付けて、宵の内は菜種油を燃やし、その光明を頼りに、深江港出入り船の夜間海上航行の安全を図りました。深江港は、「襟江」(着物の襟のような深い入り江)とも言われ、港の奥行十丁あり、大小三百隻の船が停泊係留できました。牧の内の常夜燈(今の小字「燈籠番」にあった)は、現存しません。~説明板より~