月光山 天徳寺
開基 天慶年間 宇都宮氏菩提寺

文治元年初代宇都宮信房公入国から百五十年の後、南朝北朝の対立が起こり、宇都宮一族又二派に分かれて、戦う情勢になった。之を憂えた五代頼房公が祈願をこめて建立したのが本寺である。然し世は益々乱れ争乱打続くこと二百数十年、宇都宮氏も時勢に應じ本拠城井谷の護りを固め東西の峰々に城を築き、山を縫って綺馬路をひらき難攻不落の城塞を造った。やがて時代は移り、豊臣秀吉による天下平定が進むや、此の名家の命運も盡きる時が来た。即ち天正十六年春、十八代鎮房公は中津城内で謀殺され本城大平城は奇襲されて遂にに滅びたのである。治政四百三十年間。この時当寺も灰燼に帰したが、後細川、小笠原両公によって復興され今日に至っている。
~説明板より~


左 第十七代 宇都宮長甫公
中 第十八代 宇都宮鎮房公
右 第十九代 宇都宮朝房公