城跡の主郭は長方形で周囲には土塁が巡らされ、土塁南角に櫓台跡が、東北側に虎口跡が見られる。主郭の北側一段下側には曲輪があり、建物跡が残り、さらに東北の下段には櫓台礎石群が見られる。曲輪の虎口は東側にあり、乱石積みの石垣が残る。
この城跡の圧巻は、城台の周囲に深い空堀り(横堀)と畝状空堀(竪壕)がコンパクトに巡らされ、さらに東側に石塁、北側に三重のの空堀・土塁が備えられ、また、北麓には石組井戸が残るなど、中世末期の典型的な野城の遺構が残っている。


宇佐市安心院町

副城跡





副城は但馬国出石城に居た副氏が天文の頃(1532~1555)副村に城を築いたといわれている。また一説には、出石城主副甲斐守が九州に下り、合戦の功を得て三村一万八千石を貰い、永禄元年(1558)副越中守鎮安は副城主となったと言われている。また、香下文書中の宇佐郡36人衆に副但馬守(甲斐守の嫡子)の名前が見られ、永禄9年(1566)5月3日、田原紹忍の家臣によって副城が○○かれ、天正9年(1581)5月16日大友軍大津畄佐京○○宗澄は攻略され、一族は天正16年○○たと伝えられている。
~案内板より~




石組井戸

横堀

竪堀

虎口


櫓台跡