零式艦上戦闘機二一型

永遠の0で使用された実物大模型です 鉄製の骨組みに合板を貼り付けて下地を作り、その上からアルミ板を接着し、本物に近い質感が再現されています。タイヤは本物の「疾風」のタイヤです。


宇佐市平和資料館


宇佐市平和資料館では、宇佐海軍航空隊の歴史や宇佐への空襲、宇佐から出撃した特別攻撃隊、市内の戦争遺跡について解説しています。加えて、実物大の零戦21型模型映画「永遠の0」を展示しています。 


モニュメントは手を振って特攻隊を見送った人々をイメージしており、
平和への願いと鎮魂の思いが込められています。




 「平和への願い碑」    「滑走路跡」  


現存する掩体壕は10基あるそうです


左の写真は昭和23年、米軍機が撮影した宇佐海軍航空隊周辺の写真。

   
開隊 昭和14年10月1日
解隊 昭和20年5月5日
解隊後は西海海軍航空隊宇佐基地
教育内容 艦上爆撃機・艦上攻撃機の操縦と偵察
隊員数 開隊時 約800名 終戦時 約6100名
滑走路 開隊時 幅30m 長さ 1150m
終戦時 幅80m 長さ 1800m
練習航空隊から作戦基地への変邊にともない規模が拡大。


蓮光寺の「生き残り門」
昭和20年4月21日午前8時25分頃、B29による大空襲で蓮光寺本堂・庫裏や周辺の民家が全壊しました。しかし、安政二年建立の山門だけは奇跡的に倒壊をまぬがれたことから、生き残りの門と呼ばれるようになりました。


「爆弾池」 
B29の空襲でできた穴で、雨水などが溜まってできた池です
戦後間もない頃は多くの穴が残っていて大きいものは30mほどありましたが、今はこの池のみです。



「無線受信所跡」



上面がアーチ状 何かの台かな


「落下傘調整室」  壁の穴は機銃掃射の跡


名称が現役、今も使われている「航空隊踏切」

日豊本線の柳ヶ浦駅の西側にある踏切
かつてはこのあたりに航空隊へ物資を運ぶ引き込み線があったそうです


「宇佐海軍航空隊の正門」
柳ヶ浦小学校にある掘り出された門柱


「標的」

 宇佐市高家の周防灘の沖合にあるコンクリートの塊 魚雷、爆弾の投下訓練の標的として使用した 左右の柱状のものは艦船の幅を想定しているとか。


排水用の水路跡 




「電信室」


電信室内部


「海軍桟橋」
駅館川河口の長洲地区に、宇佐海軍航空隊のカッター練習に使用された桟橋。


「誘導路」


「中型掩体壕」

左の掩体壕の正面
民家の大きさからこの掩体壕の大きさがわかります。
中型機を格納していた掩体壕です。国内最大級である。


「機銃掃射の弾痕跡」
柳ヶ浦小学校の塀


「滑走路のコンクリートを利用した塀」
こちらの塀はコンクリート片を並べているだけです。

「特攻隊慰霊碑」
柳ヶ浦高校の正門左側の前、木々に囲まれた中にある特攻隊慰霊碑、宇佐海軍航空隊の銘がある「忠魂碑」





「爆撃痕が残るコンクリート塀」
吉松地区の民家の塀に残る無数の傷跡、昭和20年4月26日、7月15日の米軍機による攻撃を受けて痛々しい姿となった塀です。