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慶長五年(1600)九月、東軍・徳川家康と西軍・石田三成との関ヶ原の戦いが起こりました。九州における東軍は中津城の黒田官兵衛、熊本城の加藤清正、木付城の細川忠興だけで、他はすべて西軍でした。豊後国で唯一東軍に与した木付城は、東軍と西軍の攻防の要城となりましたので、豊後国の再興を目指した大友宗麟の子、大友義統が攻め込んだ「木付城の戦い」は、遠く熊本城の加藤清正が救援に出陣するほどの天下分け目の戦いとなりました。木付城は、大友軍の猛攻に、三の丸、二の丸を攻め落とされ、城の守りを任されていた有吉立行や松井康之らの防戦虚しく落城寸前でした。しかし、井上九郎右衛門らが率いた官兵衛の援軍により落城を免れ、別府立石まで徹退し陣を構えた大友軍と、追いかけた黒田・細川連合軍は、九州の関ヶ原といわれる「石垣原の戦い」で大激戦となり、黒田・細川連合軍は、大友軍に勝利しました。 案内板、説明板、チラシ、パンフレット、ガイドブック、各サイトのコメントを引用しています |
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