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初代 永井実貞(鎌倉家人)建久七年(1196)紀裕安の養子として、富来姓を名乗る。
九代 富来忠茂
十代 富来忠挙 建武三年(1336)三月足利尊氏富来城入城、その後多々良浜合戦等を経て、五月再び富来より上洛し、幕府を開くが、その間の富来氏の誠実な行動尊氏は殊の外感謝 し、持所の旗と秘蔵の珠を贈るとともに高師直からも感状を贈られる。
十二代 富来繁英 大友家の大老に就任
十八代 富来実直 大友義鎮(宗麟)の近侍として活躍
二十代 富来統長 大友義統が豊臣秀吉から領地没収された為、流浪し、富来氏も離散。
文禄三年(1594) 垣見(筧)家純が豊臣秀吉の命により、富来藩二万石を封じられ入城。
慶長五年(1600)石垣原合戦 関ヶ原合戦
富来城主、垣見家純は、西軍について大垣城にて戦死。
富来城攻防戦九月二十三日~十月二日 城代垣見理右衛門は攻め寄せた黒田如水軍と対峙した。およそ十日間にも及ぶ激闘の末富来城は開城した。(宮本武蔵はこの合戦に黒田軍として参戦し足を負傷している)
慶長六年(1601) 木下延俊は日出に入部の際、垣見氏の富来城での勇猛果敢な活躍に心を打たれ、大手門の扉を日出城の裏門に使用した。
僅かに石垣が残ります |