
屋山を望む金宗院跡

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豊後高田市
「吉弘氏菩提寺 金宗院跡」
金宗院は永享八年(1436)の開基と言われ、屋山城主であった、大友氏の三大老吉弘氏の菩提寺として栄えてきた。
吉弘氏は、大友氏の重臣として、中国地方の大内氏に対抗するため、屋山城主として当地を治めた。吉弘家からは、柳川城主(福岡県)立花宗茂を輩出し、朝鮮出兵(1592)などで多くの武功をあげた一族であった。
武将吉弘統幸(第五代屋山城主)は、関ヶ原の役(1600)で豊臣方に参じ、黒田軍と石垣原で戦い、孤軍奮闘したが壮絶な討死をした。
当寺の金宗院の住職は、ひそかに統幸の首級を持ち帰り、寺内に葬った。
終戦後、寺は無住にとなり、寺屋は崩壊し、金宗院の名のみを残してきたが、吉弘氏の子孫や住民により、供養塔が建てられ、金宗院跡として遺されている。

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