「旗ノ台」
史跡 旗ノ台 由来
慶長五年秋九月石垣原合戦は関ヶ原の合戦と相待て天下分目の戦となり当時豊臣方大友義統と徳川方黒田如水軒孝高と石垣原に於て九月十日佛暁より大激戦となりました其の戦に肥後城主加藤清正三千餘騎を引きつれ九月十三日鳥居峠を待て本隊は当地に陣取戦の様子を見て黒田方勝利を確めて帰途につきました南無妙法蓮華経の平旗を立てたので地名を旗ノ台と称するに至る加藤清正滅亡後昭和廿七年は三百四十年になり其の間由緒ある土地が一片の荒堅と化し世間よりかへりみられなかったのを遺憾として其の筋の許可を得て地方同志発起人等相計り此の地に加藤清正公の石像を建立し公の信篠たる天下泰平国土安i穏五穀成就交通安全を表明し三百四十三年紀念をあわせて講和条約契期として日本国獨立将来興隆を祈願する篤茲に旗ノ台の由来を略記す
昭和二十七年五月吉日
下の碑の本文のみ書き出しましたが、解る範囲です、誤字があるかもしれません。


|


 |